まとめ
村にあった学校の歴史について少し勉強しました。
今回のまとめです。
平成8年に編集した「川上分校の思い出」に
学校の沿革が詳しく記述してありました。
明治6年 川上地籍「清源寺」を仮校舎にして敏求小学校を創立
川上・三森・久保・安井・川関・石山の児童を収容する。
明治12年 「歓喜寺」に移り授業を行う。
明治13年 杉左近伝蔵の小屋を借りて授業をおこなう。
明治15年 左近谷に校舎を新築する。
明治25年 教員住宅を新築する。
明治28年 三森を本学区に組入れる。
明治33年 的場付近に校舎を改築する。
大正13年 校舎を改築移転する。
位置的には最終までこの位置で終わる。
昭和34年 鉄筋コンクリート造りに改築する。
平成7年3月佐分利小学校に統合
122年間の歴史に終止符が打たれた。
初代教師は清源寺住職「葛原文叔」さまで、103名の先生かたにお世話になりました。
また川上からは10名の方が教師になっていただいております。
以上は「川上分校の思い出」から抜粋したものであり、「(学校要録)」によることを確認しました。
石碑に刻まれた戒名は「江見三郎」先生であることもお寺で確認しました。
先生に抱いていただいたことを懐かしんでいただいたり
自慢のピザ釜を見せてもらったり
町の施設は9時からでないと利用できないこともわかりました。
お点前もご馳走になりました。
一区切りついた思いです。